こんすこ〜(Vtuber)
ゲモソボっていうのはこれ↓です
https://scottiesub.hatenablog.com/entry/2021/08/03/231528
まだ読んでない人は読んで欲しいと言えるほど大したものでは無いですが、お時間があれば是非。
読み返してみて恥ずかしい気持ちもかなりあったものの、まあまあ読んでて楽しかったので振り返り記事を書いてみることにしました。
書いた当時のことを振り返りつつ、何を思ってこんな怪文書を生成したのかみたいなことを書いていけたらいいなと思います。
自分で書いたものについてしたり顔で語るというのは、世の中にあるダサい行為の中でも格別のやつであるという気もします。が、かの有名漫画SKETDANCEを開いてみれば各話のあとにビッシリ後書き解説が書いてあり、この面の皮の厚さを見習うことにしました。
①当時の状況
当時は自分の中でも対戦ゲームにハマっていた時期で、よく遊ぶゲームがポケモン剣盾からシャドバになったあたりでした。多分竜王戦ルールが無限に続いてた時期かな?確かめるのは面倒なのでそういうことにします。
自分はそこまで竜王戦ルールに取り組まなかったものの、ぽけっちでもそれなりに流行っていたし、仲のいい同世代の奴らもみんな日々ランクバしていたように思います。
ちなみにゲモソボは案を試験前日に思いついて、その翌日に書きました。
②で、結局ゲモソボとはなんなのか
簡単に言ってしまえばポケモンのことです。ほぼ並び替えただけですね。もっと言えば、あらゆるゲームや遊び、趣味。それらを肯定してあげたかったという気持ちが当時の自分にはありました。
「ポケモンに救われている」と思いたい。ということですね。そういうある種自己正当化のような気持ちを、くだらないユーモアを交えて物語の形にしたかった(理解してもらいたかった)という気持ちから始まったのがゲモソボです。
読んだけど全然そういう感じしなかったよ!という人がほとんどだと思いますが、それは自分の至らなさです。そういう感じしたよ!という人はありがとうございます。
ちなみに、シャドバじゃないのはポケモンサークルだからです。
③内容について
・冒頭のゲモソボの説明
ここは最初から決めていたことだったのですんなり書けました。何を決めていたかと言うと「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」というネットミームから感じる面白さをそのまま骨子にしよう、という方針です。ズブの素人にとって面白い文を書くのは難しすぎたので、こういう既存のユーモアの型を借りるのは悪くなかったかなという気持ちです。
・ゲモソボの要素
話の核となるゲモソボには、なるべくポケモンに近しい要素を与えました。思い出せる範囲で以下。
①オタク(三木)が強い
②学校の部活(人気・メインストリーム)と対比される不人気スポーツ
③用語が門外漢からすると意味不明
④でもプレイヤーは知ってて当然という顔で語り出す
⑤世界1位が本名でなくハンドルネーム
⑥悪影響を及ぼす(とされている) 昔の言葉で言うとゲーム脳
ゲモソボすると脳が爆発しているから馬鹿になるという設定は、まあまあ過激だったかなと思います。自分がゲームばかりしていて単位を落としていたことの自虐半分、設定上の都合半分みたいな感じです。大雑把には「ゲームにハマること」が孕んでいる問題点を表しています。
・事件後のWHOがうんたらみたいなとこ
当時はコロナ禍の真っ只中だったので、その鬱屈した空気を反映している部分があります。
・10年後編について
非常に難航した部分です。理由は
①案の段階でどうするか決めてなかった
②そもそも伝えたいことがふんわりしてる
③最後の方で飽きてきた
など。けどここを書かないとどうしようも無いのでササッと書き上げました。ご覧の通り酷い出来ですが……。
で、10年後が一体なんなのかというと「ポケモンプレイヤーの10年後」です。そのまんま。
当時の自分には大人になるにつれてゲームからは離れるんだろうみたいな思いがあったようで、言ってしまえばありうる未来みたいな感じ。ゲームを辞めて、うだつの上がらないサラリーマンになっちゃったぜ。でもゲームばっかしてたから馬鹿です。という。念の為言っておくと、実際ゲームばっかりしてたら馬鹿になるとは思ってない
です。話の中で重要なのは、「私」が「ゲモソボばっかしてたから馬鹿です」という主観的な評価というか後悔を抱えたまま生きてるということです。現実的な話に置き換えると、ゲームしてた時間で何かほかにできることあったんじゃないかみたいな話(それは生々し過ぎるのでやめました)。
そんな「私」が、大人の社会の重圧で潰されて(社会人の解像度低すぎるのはご愛嬌)、たどり着いた場所が深夜の公園でした。居酒屋から公園に場面が変わるというのは陳腐ながら中々良いと思いました。大人と子供の対比になっていながら、時刻が深夜だったりブランコが錆びていることで純粋な子供時代からの変化を想像出来て面白いです(自画自賛)。3年前の自分は素人ながらに頑張っていました。
そこで三木に似た人物とゲモソボの話で盛り上がります。現実に置き換えると、ポケモンやってたオタクとばったり遭遇して「メガガルーラがさあ!強くてさあ!猫捨て身がさあ!無邪気冷Bがさあ!」となるのと同じ状況です。すごく分かりやすくなった。
そこで「私」は昔やっていた「ゲモソボ」、時間を費やした割に、今では話題に上がることも無く、自分のコンプレックスの原因にさえなっていたゲームに、再び価値を見出します。建設的でなくとも、「当時夢中だった」ということ自体が、10年後の今となってすごく誇らしい事のように思えてきたという感じ。
で、ここからが話の1番意味不明な(なげやりな)ところです。
当時夢中だったゲモソボに、なぜ救われているのか?
正直分かるように書いてありません。が、頑張って説明します。
ゲモソボに夢中だった「昔の私」の存在によって、ボロボロだった「今の私」は幸福を感じることが出来たわけです。このように、一時無価値で無意味だと感じていた時間が、自分を幸せにしてくれる瞬間が不意に現れる、このことを「ゲモソボに救われている」と表現してるみたいですね。
この「過去の自分」が思いがけず「未来の自分」
を幸せにしてくれる、という構造が、「わけも分からず辛いまま働いている自分」に僅かながら救いを与えている。
というのが物語の結末です。「今の自分」が「未来の自分」を幸福にするかもしれないから、ちょっとだけ頑張れる。ということですね。言い換えれば、思い出があるから、いつか思い出になるかもしれない今を少しだけポジティブに捉えられるってことです。
すごく楽しかった思い出、すごく辛かった思い出というのは、人生の中で度々思い出せるランドマークになる。「私」にとってはそれがゲモソボだったということです。
だからゲモソボは人生だということですね。
あー理解出来てスッキリした!!
え、全然しっくりこない?
わかるように書いてない人が悪いです。
ここまで駄文を読んでいただきありがとうございました。黒歴史の精算、というより黒歴史の再生産という感じの記事になってしまいましたが、これはこれでいい感じのランドマークになることを期待します。今楽しいので(深夜テンション)、「ゲモソボに救われている」に救われている。ということになるかもしれません。明日も頑張りましょう。